論文|映画が生成する空間と運動

──映画が生成する空間と運動──太田 曜──

◆写真的再現と『理性への回帰』

 マン・レイの『理性への回帰(1923)』は、映画における“写真的再現”の領域で画期的な出来事だったのかもしれない。多くのカットに於いて、カメラを使わずに“物”を写している映画だからだ。この作品で多用されている“レイヨグラフ”という技法には、単にカメラを使わないで“物”の形を写すという意味だけではない“再現”に関する根本的な問題提起があるように思われる。
 この作品が、1923年7月5日から6日にかけて、一夜にして制作されたことは、良く知られている。トリスタン・ツァラがマン・レイのところに、翌日ミッシェル劇場で行なわれるダダの催し“ 毛の生えた心臓 Le Coeur à barbe ”のチラシを持って来た。それには、マン・レイの映画上映と書いてある。マン・レイの自伝、『セルフ・ポートレイト』によれば、
 {・・・・映写可能な場面(シークウエンス)がいくらかはあるだろう、もう映写技師も雇ってあるのだ、というのだった。手持ちのものでは一分以上もたないし、付け足しに作るには時間が足りないとわたしは説明した。ツァラはねばった──君の『レイヨグラフ』はどうなんだい、写真機なしに印画紙に直接ものをつくるのだろう? 同じことを映画のフィルムでやって上演に間に合わせられないか?
 それなら可能だとわたしはおもい、明日までに何か用意すると約束した。
 百フィートのフィルムを一巻買い、暗室に入ってフィルムを短く切り、仕事机のうえに固定した。フィルムの何本かには、肉でも焼く料理人みたいに塩と胡椒をふりかけ、他のものには留針や画鋲を手当りしだいにのせた。次に、静止写真の『レイヨグラフ』でやったように、白色光を一秒か二秒、点灯した。それからフィルムを慎重に机から持ち上げ、フィルム上の残骸を払いおとし、液槽で現像した。翌朝、乾いた作品を調べてみた。塩・留針・鋲は完璧に再現されており X 線写真のように黒地のうえに白く出ていた。しかし、映画のフィルムのように駒ごとにわかれてはいなかった。これを映写したら幕には何が写るのか、まったく見当もつかなかった。・・・・・} 注:(1)
 こうして作られた『理性への回帰』は、おそらくカメラを使わないで“物”を写した最初の映画となる。

 感光乳剤を塗布した紙などの上にものを置き、そこへ光を当てて出来たものの影の画像のことを、マン・レイは“レイヨグラフ”と名付けた。ウイリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットは1839年、既に感光紙の上に植物を置き、その影を定着させたものを“フォトジェニックドローィング”と呼んでいる。クリスチアン・シャードが、マン・レイのレイヨグラフの作られる何年か前に試みた、同様の技法“シャドーグラフ”では、感光印画紙の上に置かれた物の影が、二次元的に白い影となって現われる。“レイヨグラフ”では、物の影にハーフトーンがあり、立体的な奥行きが感じられる、と言われている。しかし、一般的にはフォトグラムと呼ばれるこれらの技法で作られる画像の間には、本質的な違いはない。ここで注目すべきは、むしろカメラを使って画像を結ばせるのか、光とその光を遮るものだけで画像を作るのかの差異だ。
 光と、その光が当たるところの間に物を置き、遮られた光が作り出す影を見る、ということでは、フォトグラムは影絵と似ているのかもしれない。それは、どちらも光を遮ることで、二次元的な像を定着するということだからだ。“レイヨグラフ”の作品でマン・レイは、光を廻したり、多重露光をしたり、物を重ねて写すことで、二次元的再現しか出来ないフォトグラム的技法を使いながら、画面内に奇妙な空間的奥行きを感じさせようとしている。『理性への回帰』には、真ん中に穴が空いた真珠の粒が、雨のように降ってくるシーンがある。ここでは、半透明の真珠が、微妙なハーフトーンとなって、奇妙な空間となっている。胡椒と塩をぶちまけたと言われるシーンも、粒子の大きさの違いが、不思議な奥行きを感じさせなくもない。しかし、これらのシーンを見ても、真珠や胡椒、そして塩が写されていることは、画面を見ただけでは分からない。これらの物は、写真的表現の素材として、カメラを使った“写真的再現”とは別の方法で、カメラを使わないで“写された”のだった。もっとも、塩や胡椒を、同じ様なサイズとアングルでカメラを使って撮影しても、どれだけそれらが塩や胡椒だと分かるか、との疑問はある。しかし、一般に写真を誕生させたエネルギーだと信じられている“再現”とは別の、純粋に映像表現の為の、芸術的“再現”だったというのは確かなことだと思われる。

 では一体、一般に信じられている“再現”とは、どういうものなのだろうか? あるいは、写真的、映画的再現の中にある、それを見る側の共通した認識とは何なのだろうか?

◆空間、形態の認識と視覚

 われわれの先輩達は、一万年以上も昔から、眼の前に見えている光景を見えている通りに“再現”しようという欲求を持っていた。その欲求を具体的に表わしたものとして、アルタミラやラスコーの洞窟壁画が残されている。これらの壁画がどんな目的で描かれたのかは、異論があるとしても、少なくとも牛や鹿等の動物を、二次元の平面上に“具象的”に再現したかったのだ、という点はまず間違いないことだ。複数の足が描かれていたりするのは、動きを含めて、見えるものを見えるままに描こうとしていたのだろう。それは、同じ頃(と言うのはちょっと乱暴だが)作られた、丸彫の小型彫刻ヴァレンドルフのヴィーナスのように様式化された表現ではない。“何時から?”“何故?”ということはともかく、人類は昔から具象的再現の欲求、あるいは意志を持っていた。そして、その欲求が写真や映画、そして、テレビやビデオを誕生させた。

 見えているもの、情景、事象、現象を、見えているままに“再現”することとは、どのようなことなのだろうか。ここでは一応、私達が眼で見ている三次元の空間を、二次元の平面上に再現する絵画のようなものを考えてみる。あるいは、映画やテレビのように、その空間に運動が加わったものを、スクリーンやモニターのような、二次元上に再現することを考えてみたい。

 私達の眼は、一体何を見ているのだろうか。広辞苑第四版によれば、{視覚( Visual sensation )とは、目を受容器とする感覚。光のエネルギーが網膜の感覚細胞に対して刺激となって生ずる感覚。形態覚・運動覚・色覚・明暗覚などの総称。視感。}となっている。岩波小辞典心理学第2版では、{視覚( visual sensation )目を通じて与えられる感覚。<視覚>には比較的複雑でイミをもつ場合をふくめることもあるが、これは、とくに《視知覚》( visual perception )とよび、視覚は網膜刺激によって興奮して生ずる明暗および色の感覚をさすことが多い。<光覚>( sensation of light )も同じ。視覚の刺激は390ミリミクロンから760ミリミクロンの間の電磁波で可視光線と称せられるもの。網膜の中心部に像が結ばれるときは《中心視》( foveal vision )または《直接視》( direct vision )、周辺の場合は《周辺視》( peripheral vision )または《間接視》( indirect vision )という。前者のほうが、はっきりみえ、すべての色が見え、後者は鮮明でなく、灰色の感覚のみをもつ。網膜の中央からやや鼻側には視神経の出口があってここでは視覚が生じないので《盲点》( blind spot )と称せられる。}となっている。視覚という言葉に、、どこまでの意味を持たせるのかという問題はあるが、通常は、390ミリミクロンから760ミリミクロンの波長の電磁波が網膜の感覚細胞に与える刺激によって生ずる感覚ということだろう。そして、それらの刺激によって生ずる感覚とは、明暗および色の感覚だ。
一般的には“形態覚”を含めて視覚と言う場合もあるが、実際に網膜が捉えるのは、明暗と色の感覚だけだ。

 開眼者は開眼手術直後の視覚体験を例えば{手術したあと、まぶしかった。何でもピカピカ光って見えた。・・・明暗はすぐわかる。こまかいところまではっきり見える。色の、ほんの少しの差もわかるようになった。たとえば、キイロとキミドリ(の差)がわかる。小さいもの――ゴミみたいなものがわかるようになった。}注:(2)と報告しているし、形態の識別については{われわれが出会った開眼少女の一人(TM)は、・・・・・術後約四か月目にはじめて三種の幾何学的図形を一種づつ見て識別することを求められた際・・・には、「(何か)あることはわかる」が、「形はわからない」という状況におかれていました。ところが、白台紙上の黒色図形という同じ提示材料でも、・・・正方形と三角形とを両方見せてその異同を尋ねてみますと、・・・「形は違う」と二十六秒かかって答えているのです。にもかかわらず、正方形の方を指して「(これが)マルみたい」と言っており、異同はわかっても個々の「形」を識別することが難しいのではないかと思わせるような結果を示しました。}注:(3)と述べている。

 考えてみれば当然のことだが、網膜に受けた390ミリミクロンから760ミリミクロンの波長の電磁波による刺激、それは明暗および色だけだが、これらの刺激を情報として処理して、形態や空間として認識するのは眼(網膜)ではなく頭(大脳)だ。視覚が、明暗の弁別、色の識別、図領域の広がり、と図領域の延長方向の理解、形態の認識というように、段階的に機能生成するのだとすれば( 注:(4))、その過程の中で、電磁波による刺激を形や空間の認識へと変化させている。人間の視覚は、始め明暗と色を入力し、それを処理して形態や空間として認識しているということになる。
 触覚によって、形態を認識していた開眼手術者は、ものを目の前に置かれただけでは形態の認識が出来ず、触ってみてはじめて解るという。{・・・手術前に手慣れた日用品(ちゃわん、さじ、ぼうし、本など)でも、またとくに手術前に与えて十分に触知させ、名をつけて呼ぶことができるようにしてある幾何学的立体(球、正六面体)や平面(円、三角形、四角形)の木片でも、それらが眼の前にあるというだけでは、それとは気づかず、それは何かと問われても答えることができない・・・・・・。ただし、触れることが許されれば、これらのものも、すぐものなり、形なりがわかるのですから、弁別のはたらき一般がきかなくなっているわけではない、と考えられます。}注:(5)
 生まれつき視覚をもっていなかった人が、開眼手術によって視覚を得た後生成される視覚と、生まれた時から視覚をもっている人の生成する視覚は、その生成過程において同じではない可能性は十分考えられる。しかし、人間の視覚が、網膜に電磁波の刺激を受けるだけでは、形や空間を認識することができないことは明らかだ。

 視覚が、形態や空間を認識する際に、網膜に入力した電磁波による情報を分析、処理しているとすれば、そこで得たものは、どのように処理されて絵画等の二次元上に再現されるのだろうか。

◆二次元上に三次元を表現する線遠近法、透視画法

 写真や映画、そして絵画等、二次元上に再現された形態や空間を、三次元上のものと同じように見るしくみのなかには、遠近法が大きな役割を果たしている。元来、人類はいろいろな方法で見えるものを再現して描いてきた。今日でも、世界では線遠近法、透視画法によらないで、現実の空間を再現する文化を持っているところもある。しかし、写真や映画、テレビの普及は、そのような非線遠近法的文化を駆逐するだろう。これは、おそらく一方で、線遠近法的な見方の質的な問題でもあるが、多くは量的な問題だろう。複製技術で浸透するカメラによって撮られた画像、映像は、手作業で作られる非線遠近法的再現描写とは、比較にならない量で押し寄せる。見ている世界がどのように見えるのかと言うことと、それがどう再現されて描かれるか、と言うことの間には密接な関係がる。再現によって描かれたものは、見えているものの反映であるのは当然だ。あるいは、見ようとしている世界を反映している。そして、描かれたもの自体が再び見られる対象になるのであれば、そのようにして、描かれたものが見え方そのものをまた規制することになる。そのなかでも、写真の誕生は大きく人のものの見方を変える事態だったのだろう。なぜなら、写真の発明を契機として、それまで再現して描くことを職業としていた画家達の多くが写真家に転業したり、あるいは廃業したりしているからだ。それまで、画家が再現して描いたものに満足していた客達が、写真でなくては満足できなくなったからだ。それまで、見えていたものが、見えなくなり、見えなかったもので、新しく見えてきたものがあったのだ。

 線遠近法、透視画法とカメラとは写真の登場よりずっと以前から密接な関係があった。
 {科学的遠近法は、・・・・・いずれにせよ、絵画表現の科学的基準と考えることができ、その発展史は、絵画史に属すると同様に、幾何学の歴史にも属する。この遠近法は、ピンホール・カメラや、(レンズによる歪曲は別として)カメラ・オブスクーラおよび写真機によって生み出される遠近法であり、それが派生する母体でもあった幾何光学とともに、光線は直進するという事実にその物理学的基礎を有している。
 中央消失遠近法において絵画の描かれる面は、画家と対象との間に垂直に立てられた透明なスクリーン(画面)として考えられ、その平面上で画家は、単一の固定された視点から対象の輪郭を見えるがままになぞるのである。適切に彩色された理想的な場合を考えると、このようにして得られた絵画は、定められた位置から単眼で見たとき、実際の光景を窓を通して眺めているようなイリュージョンをつくり出す。}注:(6)

 カメラ・オブスキュラの原理は、アリストテレスによって紀元前四世紀頃、既に発見されていた。これが、目の前に見えている風景等を描く道具に使われたのは1400年代のことだった。ブルネレスキ、アルベルティ、あるいはレオナルド・ダ・ヴィンチらによって使われはじめ、1500年代には遠近法で風景等を描く道具としてかなり普及していた。カメラオブスキュラを使うことで画家は、強制的に単眼で視点を固定する必要がなくなった。デューラーの『横たわる裸婦を描く製図工』や『リュートを描く製図工』を見ると、画家が描く時に視点を固定している様子がうかがえる。人は、ものを見るときに両眼(球)を動かしている。これは、人間の網膜の構造が、中心部分(中心窩)のみ視力が高いことと関係している。{・・・視力は中心窩の部分で特に高く、中心窩をはずれると急激に低下してしまう。そこで小さな文字を読むときなどのように、細かい物をはっきりと見る必要がある場合には、対象の像が中心窩上にできるようにしなくてはならない。このために眼球運動が必要になってくる。}注:(7)
 しかし、良く見ようとするものを中心窩に捉えて、ずっと眼球を固定して見ているかというとそうではない。同じところを眼球を動かさないで凝視していると数秒で像が消失してしまうからだ。そうした理由もあって人は、あるいはわずかの角度、あるいは一瞬のうちに大きく、眼球を動かしながら物を見ている。

 そうなると、固定した、たった一つの視点からものを見る線遠近法的なものの見方というのは、人間が本来ものを見る時の見方とは、異なったものだと言うことが出来る。あるいは、物を見る時の特別な場合と言うことが出来る。
 美術を志す者は、今でも線遠近法、透視画法によって対象を描く訓練をしている。何故訓練するのかと言えば、訓練しなければ見えない特殊な見方で見なければならないからだ。そして、その見方で見えたものを頭と手を使って具象的に再現しなければならないからだ。勿論、特殊な見方で見ることが出来ても、そのことと、そうした見方で見えているものを、手を使って画面上に描けることは同じことではない。線遠近法、透視画法で具象的再現による絵を描くためには、特殊な見方という知識、そして、その見方によって見えるものを、頭と手を使って画面上に具象的に再現するという技術と、経験が必要になる。もっとも、三次元の世界を見ている人間の眼が見たものを、見える通りに二次元上に再現することは出来ない。そして、だからこそ発明された線遠近法、透視画法なのだ。
 歴史の中には、そして今日でもなを、線遠近法、透視画法以外の方法によって再現的具象表現、リアルな再現を目指すやり方が存在する。しかし、ルネッサンス以降、カメラの使用と共に発達してきた線遠近法、透視画法は、他の方法論を凌駕してきた。そこには、一方で網膜に写る像の反映としての透視画法で描かれた絵の持っている視覚的合理性もある。あるいは、一つの、正しい視点からだけ物を見る、という考え方が受け入れられたのだ、と言うことも出来るだろう。そしてさらに、写真術の誕生は、そのような線遠近法的なものの見方を定着させる決定的な役割を果たすことになった。写真が線遠近法、透視画法で描かれた具象的再現の手本となったからだ。
 線遠近法、透視画法によって描かれる空間は、人が日常見ている空間と同じではない。それが、二次元上に再現された三次元空間のイリュージョンだ、という点だけを考えてもそのことは理解できる。

 ところで、そうして描かれたイリュージョンを見るうちに、人は空間の二次元上の再現の見方そのものが線遠近法的になる。おそらく、そのことを加速させたのはカメラの使用だったのではないだろうか。カメラ・オブスキュラ、カメラ・ルシーダなどの固定視点装置を使うことで、比較的容易に線遠近法的な再現、透視画が描けるようになる。そうなると、透視画、線遠近法的絵画が特殊な見方による二次元上への三次元の再現だという意識は、見る側から次第に無くなっていったのではないだろうか。
 物を見るということ、とりわけ形態や空間を見るということが、感覚ではなく、認識のことだと考えれば、このことは一層分かりやすい。近くにある物が遠くにある物より小さく見えるのは、三次元の空間の中では、同じ視点から見ている時である。そして、それが、二次元の平面上に同じように描かれている時、人は大きく描かれている物は近くにある物として見、小さく描かれている物を遠くにある物として見るのだ。訓練をしていない者が具象的表現をする時に犯す誤りは、固定した視点からの見かけの大小ではなく、実際の物の大小を画面上に描こうとすることだ。しかし、線遠近法、透視画法で描かれた絵画が、頭の中に線遠近法的な空間と形態の認識プロセスを組み込ませる。それは、線遠近法、透視画で描かれた絵画を見ることがそうさせるのだろう。そして、あるいは線遠近法で、再現的具象絵画を描くために使われたカメラで、撮影された写真を見ることで、二次元上に再現された三次元空間を読むのだ。そのような、認識のプロセスが組み込まれているからこそ、エームズの部屋のような錯視が起こるし、ポッツオの天上画の壮大さに驚かされるのだ。

◆遠近法とカメラ

 19世紀なかばに写真が登場した時、世間は何故それを写実的再現として受け入れたのだろうか。そこには、写実的再現をするための道具として使われてきたカメラの存在と、遠近法が関係している。写真で写され、再現された対象と、カメラを使って線遠近法的に描かれた絵画との間に、形態や空間の上でほとんど差が無かったことが重要な意味を持っていたのではないだろうか。線遠近法で描かれた透視画が目指していたのは、カメラオブスキュラで画家が決めた画面を、正確にトレースすることであったとすればそれは当然だ。光のエネルギーの強弱に応じて濃淡を描く感光剤が塗られた板等が、紙の代わりに画面の位置に置かれたのだからだ。

 時代の変化を敏感に感じ取った画家の中には、“絵画”から“写真”に転向する者も現われる。シネマトグラフの発明者、リュミエール兄弟の父アントワーヌ・リュミエールも、そのようにして写真家に転向した元画家だった。父アントワーヌとオーギュストとルイの二人の息子、このリュミエール一家は、一万年以上昔の洞窟に描かれた動物の時から続いていた、写実的再現に関するエネルギーを、絵画、白黒写真、カラー写真、映画という形にして実現した。もっとも、ダゲールもジオラマの背景を描いていて、よりリアルな再現を求めて写真(ダゲレオタイプ)の発明に乗り出すわけだし、ニエプスも石版印刷の元絵を作るため写実的な絵が必要だったと言う。いずれにしても、19世紀半ばから終わりにかけて、“画家”やそれに近い職業の人達から、写真や映画が生まれている。

 カメラ・オブスキュラや、カメラ・ルシダのような装置を使って、浮かび上がる画像をトレースするかたちで描いた絵画と、同じ画面の位置に、感光剤を塗付した板や紙等を置いて画像を定着させたものでは、描く技術のことを別にすればその見え方は変わらない。そのために、再現的具象表現の分野では、写真が絵画にとって代っていく。

 こうして、再現的具象表現の領域で、絵画からその後を受け継いだ写真は、線遠近法的再現として現実が再現されたものとして受け入れられ、そのように認識されていく。写された写真を見て、見る側はそこに、カメラで撮影された何かを想像する。あるいは、写真を見るということは、カメラを使って線遠近法的に目の前にある何かを、その撮影された何かを見ることと、ほとんど同じことのように認識されてさえいる。こうした、認識を逆に利用するのが、SF映画等のミニチュアによる特殊撮影だ。実物とミニチュアを合成する特殊撮影では、遠近法を理解して、形や大きさ、そして動きに整合性を持たせることがリアルに見せるために必要になる。

 写真が、カメラを使って、線遠近法的に現実の再現的表現をするものと考えられている時、カメラを使わないで再現的表現をする作家、写真家が居た。そのような“写真家”の一人がマン・レイだった。マン・レイが、レイヨグラフによる最初の“写真”作品を作ったのは、1917年のことだった。そして、二十年代には多くのレイヨグラフの作品を制作し、そうした経緯の中でレイヨグラフを映画へ応用した『理性への回帰』が生まれた。

 映画は、カメラで連続的、間欠的に写真的に撮影された一連の画像を、撮影された時と同じように断続的、間欠的にスクリーン上に映写するものだ。基本的には、スクリーン上に写し出されるものは、反射する光りの強弱(明暗)と色だ。これが、何故カメラで撮影された物と同じように認識されるのかは繰り返さない。映画では、当然“動き”が加わるのが写真とは異なっているが、カメラを使って撮影している以上、写(映)る画像は線遠近法的になる。映画を見る時、それを見る人はスクリーン上にある物は、かつてカメラの前にあった物だと思っている。

◆カメラを使わない“写真的再現”

 マン・レイの『理性への回帰』が画期的だったのは、単にカメラを使わないで作られたからだけではない。カメラを使わないで“物の形”を写したことが重要なのだ。そして、更に、写された物がフレームを超えていたことも、それまでの映画とは異なっていた。この二つのことが、映画にそれまで存在しなかった表現をもたらした。この映画では、現実の空間や形態、そして運動は再現されていない。
 『理性への回帰』は“ 毛の生えた心臓 Le Coeur à barbe ”で、1923年7月6日(金曜日)に、ハンス・リヒターの『リズム21(1921〜24)』やチャールズ・シーラー、ポール・ストランドの『Manhatta(1921)』等と一緒に上映された。本来は,翌7日の土曜日にも上映されるはずだったが、初日のスキャンダルによって、翌日の催しは行なわれなかった。その後、二十年代の前衛映画の上映の時にも上映されることはなく、再び上映されたのは1949年、ベルギーで行なわれた“クノック・ル・ズート国際実験映画、詩的映画フェスティバル”に於いてだったという。注:(8)
 “ 毛の生えた心臓 Le Coeur à barbe ”で、『理性への回帰』と一緒に上映されたハンス・リヒターの『リズム21』も、現実の空間や形態を再現していない映画のように見える。しかし、実際にはこの映画は、平面に描かれた“動画”がコマどりされたものだ。撮影された対象が、二次元の平面なので空間的奥行きが無いのは当然のこととしても、それはカメラで撮影されたものだった。動きについても、一コマ毎に、少しずつ動かし、移動させた対象を撮影することで作り出されている。
 『理性への回帰』で“撮影”された対象は二次元的平面ではない。画鋲や、真珠や、留針、ばね、そして塩、胡椒等の三次元的物体だ。そして、この映画では特にその“撮影”のされ方は、カメラを使わないでフィルムの上に直接物を置き、そこに光を当てて像を結ぶという特殊なやり方だった。遠近法的見方に従わない“写真的再現”の方法論で“撮影”された映画は、上映の際少なからず観客に衝撃を与えた。{映写がはじまった。まずはじめのものは降雪のように見えたが、雪片は降ってくるのではなくて四方八方に吹飛んでいるようだった。・・・・これにつづいて、交差し回転する巨大な白い留針のテンカンの発作にも似た踊りの場面があり、次にふたたび、孤独な一本の画鋲が画面から逃れようと絶望的な奮闘をしている場面になった。観客のなかにはぶつぶつ不平を言う者がすこし居て、一度か二度、口笛も混ったが、突然フィルムが切れてしまった。フィルムの下手なつなぎあわせが原因だった。フィルムが修理されているあいだ、場内は灯りが消えたままだった。意見めいたものも二、三、交されていたみたいだったが、本気ではなく、観客はこのあとに啓示かなにかがもたらされることを期待しているのだった。・・・・猫の鳴声を真似た野次が観客のあいだに起こった。しかしまたフイルムが切れ、場内に闇がおりた。一人の観客が声高に不満をぶちまけたが、そのうしろに居た、明らかにダダイストの共感者とおもわれる男がやりかえした。この二人のやりとりは次第に個人的なものになり、最後にはぴしゃりという大きな平手打の音がして、つづいて蹴り合いの喧嘩になり叫び声が起こった。・・・・}注:(9)
 フィルムが切れる前に不平を言う者や、口笛を吹く者が居たのは、アクシデントとは無関係な、映画そのものに対する反応だったと言える。そうした反応が何によるのかは分からないが、少なくともそれまで見たことのある映画の空間、形態、動きが、スクリーン上にレイヨグラフのシーンにおいては、出現しなかったことと無縁ではないだろう。それにしても、画鋲や留針、真珠やばねは、それが何かははっきりと分からなかったとしても、物が写されているのだということは分かる。そして、それら写された物は画面上で、カメラを使って連続的、間欠的に撮影されたものとは、全く異なった非連続的な動きを見せる。確かに何か物が写っているが、それが何なのかはっきり分からない。写っている物が動いているのに、非連続的な動きなので眼で動きを追いかけることが出来ない。この二つの点、これらが『理性への回帰』のそれまでの映画になかった新しい試みだったわけだが、そうした観客の経験や知識になかったものが衝撃を与えたのではないのだろうか。
 ダダがそれまでの芸術的伝統や文化的因習を破壊する使命を帯びていたとするのなら、遠近法的なものの見方や、そこから発展したカメラで撮影する再現的表現、動きを含めた映画的再現を否定した『理性への回帰』は、その使命を果たした。それも、レイヨグラフという写真的再現の一つの方法を使いながら、遠近法的再現をしないという“画期的な出来事”を通して、映画による映像表現の可能性を拡大したのだった。

 その後、シネカリグラフによるアニメーション作品や、ペーター・クーベルカの『アルヌルフ・ライナー(1958〜60)』やトニー・コンラッドの『ザ・フリッカー(1966)』のように、カメラを使わない、あるいは撮影をしない“映画”は作られる。しかし、これらの“映画”では何か物を再現的に写すということは行なわれていない。シネカリグラフではフィルムに直接描かれた、あるいはフィルムの表面をひっかくことで出来た傷による絵が、スクリーンに映されるのだ。35ミリや16ミリ、8ミリフィルムという限られた大きさの画面(35ミリの場合一コマ約22ミリ×16ミリ)に、そうして描かれた絵でリアルな細部までかきこまれた表現をすることは出来ない。また、『アルヌルフ・ライナー』等の映画では、素抜けと黒味だけで構成されているので、基本的には(実際の制作がどのようになされたかは別にして)撮影という概念そのものが存在しない。

◆光を使わない“写真的再現”と『浸透画』

 写真技術を使って、再現的に対象を映し取ろうとすれば、たとえカメラを使わないフォトグラム等でも光が“物”の影を写す。そうした意味では、おそらく奥山順市の『浸透画(1994)』は、カメラどころか、写真的表現の領域では不可欠のものと思われていた“光”を使わないで、物を写して作った画期的映画だ。
 {・・・・ヒモとか糸でフィルムを縛ってそのまま液につけてみると、液の浸透具合で濃淡が出てきて「えっ、こんなになるのか!」ということからどんどんのめりこんでいった。それで今度は糸屋さんや洋品屋さんで材料探しですよ。レースのを買ってみたりカーテンの房はどうかとかいろいろためして、細い糸がだんだん太い流れになるという構成になったんです。だから、タイトル以外はカメラを使わずに、フィルムを糸で縛ってそのまま現像液につけているんです。・・・・}注:(10)
 『浸透画』が、画期的映画作品なのは、通常写真的再現には、たとえ“レイヨグラフ、フォトグラム”に於いてさえも必要だった“光”を使わないで“写真を写している点だ。現像プロセスだけで、物の形をフィルム上に定着させたその方法論は、何やらシュルレアリストたちの専売特許だった“フロッタージュ”に似ていなくもない。ただ『浸透画』では、糸や紐と一緒に巻かれたフィルムの乳剤面を“擦る”のは鉛筆や木炭ではなく現像液だ。{・・・・糸や紐等手当り次第フィルムに巻き付け自家現像し、現像液がフィルムに付着する加減で微妙な濃淡を表現した。画像はそのままサウンドトラックにもはみ出し、その物の音を出すこととなった。}注:(11)
 このようにして、フィルムと一緒に巻かれた糸や紐は、フィルムの映写方向に伸びている。それは、止まっているフィルムを見た時の話しで、映写されたものは、スクリーン上ではっきりと“紐、糸”、又はそれに近い“物”が写されている、ということが良く分かる。『浸透画』では、『理性への回帰』と同様、写されている“物”は、フレームを超えている。映写された時の画面内の“動き”は、当然カメラで撮影された映像とは異なっている。スクリーン上には、川の流れのように現われては消える明暗の筋が、不思議な奥行きを見せる。勿論、一コマずつカメラを使って“連続的、間欠的”に撮影された“普通”の映像とは違うのだが、糸、あるいは紐、綱のように明白に見える“物”が、コマ毎の連続の無い、流れる映像で姿を現わす。しかし、ここで写真的、再現的に表現された“糸、紐”は、カメラを使って撮影されたものではないので、線遠近法的な空間、形態の、再現とはなっていない。ここで現われる映像、写された“物”と、映写されて生まれる“動き”は、どちらも映画でなくては作り出せないものだった。それは、現像という写真術に特有の画像生成の過程を経過させながら、その画像生成過程では“光”を一切使わない、という写真にとっても、映画にとっても、実に異端の方法で作られた映画だった。線遠近法的、具象的再現のために誕生した映画で、カメラを使わないばかりか、遠近法に於いても、写真にとっても不可欠と思われがちな“光”を使わないで作られた映画『浸透画』は、映画に於ける再現的表現の領域で、全く新しい方向を示した作品だと言える。映画が視覚芸術の一分野だとするのなら、現像と定着という通常光によって像が形成された後に行なわれる作業だけで、“物”の再現的画像を生成するということは、ある種矛盾したことのようにも思われる。それは、形態や空間、明暗や色等は全て光によって人間の視覚の為の刺激となるからだ。ものを見る時に必ず必要な“光”を使わないで、ものの形を薬液を使ってフィルム上に作り出した『浸透画』の作者奥山順市は、映画における錬金術師なのかもしれない。
 『浸透画』では、サウンドトラックも画像と同じ方法で作られている。スクリーン上に見えている画面と同じやり方、光を使わないで“物”を写すプロセスで作られている。観客は、光を使わないで写された紐や糸などの“映像”を見ながら、その“映像”がエキサイターランプからの光を、遮ったり、通したり、することで発生させる音を聞くのだ。光なしで作られた映画『浸透画』の画像は、現像プロセスで作られた音も映像も映写の時にだけは光を必要とする。

◆運動の再現とカメラ、映写機の構造

 カメラを使って撮影された映画は、何時でも線遠近法的に現実を再現描写しているのだろうか? 映画は空間だけでなく、“時間”も“再現”すると思われているので、必ずしも常にそうはならない、のではないだろうか。映画フィルムに写されたひとコマひとコマの画像が、カメラを使って撮影されたものの場合、そのひとコマの画像は確実に線遠近法的なものになる。そのひとコマは、写真のカメラで撮影したものと基本的には変わらないからだ。しかし、当然のことだが映画は、そのように写っているひとコマひとコマを見るものではない。

 通常、定速と言われている撮影と映写のコマ速は、35ミリ、16ミリのサウンド映画の場合、24コマ毎秒となっている。撮影用カメラ、映写機、共に、最も一般的なシャッターの構造では、定速撮影(映写)の場合、48分の一秒(開角度180度のシャッターの場合)シャッターを開きフィルムを露光(映写)し、48分の一秒シャッターを閉じ、その間にフィルムを送って次のコマを露光(映写)する準備をする。実際の上映では、フリッカーを減らす為、同じコマについて96分の一秒分ずつ二回光を当てて映写している。こうして、48分の一秒ずつ連続的、間欠的に撮影され、それが同じように連続的間欠的に映写される。
 映画による再現の一般的な考え方では、撮影時のコマ速を24コマの定速にして、同じコマ速で映写する。映写時のコマ速24コマ毎秒は、普通の映写機では変えることが出来ない。撮影時のコマ速を24コマより多くするのをハイスピード撮影(あるいはスローモション)、少なくするのをコマ落とし等と呼んでいるようである。これらは、映写機の映写スピードが変わらないことを前提にした言い方だと思われる。定速の24コマ毎秒よりも少ないコマ数のものを、コマ落とし等と呼んでいるが、毎秒何コマから何コマまでを、コマ落としと言うのかは定かではないようだ。
 しかし、慣習的には、毎秒一コマ程度よりコマ速の遅いものを普通は、“コマ取り”と言うようである。これは、おそらくカメラの構造が、この程度(一秒位)の間隔をおいて一コマずつ撮影するのと、それよりも短い間隔(例えば毎秒24コマの場合、間隔は48分の一秒)で撮影するのでは異なったやり方をするためではないだろうか。具体的には、レリーズで一コマずつ任意の間隔をおいて撮影出来たり、コマ取りモーター等と称する特殊モーターを付け、インターバルタイマー等を組み合わせたりすることで、任意に設定したコマとコマの間隔で撮影したりすることが出来る。

 映画は、カメラと映写機の両方共、その構造は基本的に“コマ取り”である。カメラには、固定したたった一つの視点であるレンズの後ろに、普通は一本だけフィルムが掛かるようになっている。そして、一コマずつフィルムはゲートに固定され、アパーチュアで一度だけ露光され、次のコマが送られる。そうなれば、コマ速が毎秒何コマであろうと、一度に撮影出来るのは一コマだけだ。そして、この一コマずつを連続的、間欠的に撮影、映写する技術が映画術だ。

 普通の撮影では、基本的に一コマと一コマの間の間隔は、一定に保たれている。しかし、“コマ取り”と言われる撮影技法に特徴的なのは、撮影する一コマと一コマの間の時間を任意に選択出来ることだろう。そのために、その間の時間を利用して、絵を入れ替えたり出来るのでアニメーションのような“動き”を作り出すことが可能になった。アニメーションのように、映画術を利用して存在しなかった“動き”を作り出す技法では、その多くのものは現実の動きを模倣している。現実には存在しないものを登場させても、それらは、あるいは人間や、あるいは実際に存在する動物の動きを模倣することで、現実感を出そうとしている。
 ポール・シャリッツの『タッチング』のような作品は、基本的には動いていない一枚ずつの絵(画面一杯に色が塗りつぶされたもの、舌を鋏で挟んでいる男の写真、等)を撮影して、映写時に、それらの絵には存在していなかった“動き”を作り出した映画という意味では“アニメーション”と言えるのかも知れない。ここで見ることが出来る動きは、それまで現実の視覚体験では見たことがないもの、映画がスクリーンの上にだけ出現させたものだった。現実にあるものの動きを、模倣するのがアニメーションと思われがちであるために、この映画が“アニメーション”だとは思われていないようだ。

◆“コマ取り”と『花束』

 ローズ・ローダーが、1970年代の終わりから取り組んでいる一連の映画のシリーズでは“コマ取り”による撮影方法が使われている。『花束 Bouquets 1-10 (1994−1995) 』は、それまでの作品でためされた複雑なコマ取りによる映像制作が、一作品当たり正確に1分(1.440コマ)間ずつ行なわれている。『花束』を含めたローズ・ローダー映画の発想の基本は、映画のコマの連続と間欠と言うことだろう。連続する一コマ一コマがつながったものを、映画フィルムととらえ、一コマずつ撮影された画像が、連続的に映写される時、新たな“空間”と“運動”が画面上に現われるというものだ。

 『フランス生活の光景 La scènes de la vie française ( 1985−1986) 』では例えば、パリ、リュクサンブール公園の池が“コマ取り”で撮影されている。同じカメラポジションから、同じアングルとサイズで、コマ取りで撮影されている。ただし、撮影された“時”は1983年6月、1983年11月、1984年11月と異なっている。夏に撮影された部分では、池の前に四角い箱に入れられた大きな鉢植えのしゅろとオレンジが置いてあるが、秋の部分にはない。又、カメラの前を通りすぎる人達の服装も当然異なっている。同じ場所で、同じように撮影された“時”だけが違ったコマの集積が、一本のフィルムになっている。
 それ以前に作られた『ひまわり Les tournesols ( 1982−1983 )』は同ポジで、ピントの位置を変化させながらコマ取りされている。こうした作品制作に関連してローズ・ローダーは{・・・もし、フィルムの帯を調べれば、スクリーン上で知覚されるものは、フィルム上の画像とは違うものだ、と気付くはずだ。それは、伝統的な編集とは異なった原則で構成された画像が、溶解した結果なのだ。・・・}注:(12)
 と言っている。ローズ・ローダーにおいて、映画は、フィルム画面に写っているものとは違う。映画は、スクリーン上に映された一コマ一コマが、溶け合って生み出す新たな知覚を創造するためのものだ。『ひまわり』のように、ピントの位置を変えるだけという比較的単純な構造で成り立っている映画でも、スクリーン上で知覚する映像からは、フィルム上で行なわれた作業を想像することが出来ない。とりわけ不思議に思われるのは、同ポジ、同アングル、同サイズ、であるにもかかわらず、“動き”があることだ。それは、実写のひまわりであれば当然起こりうる個別の花の揺れやブレではない画面全体から感じられる“動き”だ。

 一コマ単位で、異なり、かつ連続した複数の場面を撮影したのは『即興詩 Impromptu ( 1989 ) 』においては更に複雑に発展している。まず始めに奇数のコマ(一コマ、三コマ、五コマ、・・・)を撮影する。終わったら始めまで巻き戻して、次に偶数のコマ(二コマ、四コマ、六コマ・・・)を撮影する。それは例えば、朝と夕方、のように、同じ日に、同じ場所で、撮影された二つの“コマ取り”が、同じ一本のフィルム上に存在している。こうした、さまざまな“コマ取り”による技法が継承され、組み合わされて『花束』と名付けられたシリーズの作品が出来ている。
 リマとロンドンの学校で美術を学んだためかは分からないが、ローズ・ローダーの発言からは、映画と絵画に重要な関係を見出している作家の視点がうかがわれる。{・・・伝統的な映画制作では、実践的理由によって画家のアトリエが再び作られている。それは、例えば雨風のような予測出来ない要素に対して、ひじょうに対応し易い空間だし、必要な物が全て手近に整っているからだ。仕事のために作られた特別な空間というものは、仕事そのものを反映しているし、また仕事に影響を与える。映画のように、ルネッサンスの遺産を伝統的な画家の構成から相続した場合、撮影される対象は、スクリーンの(絵画の)中央に置かれ、ヴォリュームを誇張するようにデイ・ライト(北側からの光を好む)をまねて明暗を付けられ、二次元の表面上に三次元の空間が存在していることを明瞭に表現するために、透視画法的な規則に従って撮影される(描かれる)。・・・}注:(13)

 『花束』の、カメラを使って撮影されたフィルム上の一コマ一コマは、それを調べて見れば線遠近法的な画像だと分かる。ところが、そうしてコマ単位で撮影された線遠近法的画像が、二つ以上組み合わされて、一つの帯の上に記録され、それが映写される時、スクリーンの上のものを見て“知覚”されるのは、写された対象には無かった“空間”と“運動”だ。この、一コマ一コマと、連続してスクリーン上に現われるものとの差異は、映画が対象の写真的再現を超えて創出した、純粋に映画的な“空間”と“運動”だったのではないだろうか。
 映画がルネッサンスの遺産を、伝統的な画家の構成から相続したのなら、画家がその後たどらなくてはならなかった領域を、映画も探索しなければならない。
{・・・この種の仕事は、『花束ーシリーズー』という題名と同じように、数多くの野原の、ほんの少しの小道をくまなく探索することを要求する。『花束』が言及するのは、記録された花を選択することではなく、フィルムの特別な一コマ一コマを組み合わせることだ。・・・}注:(14)

 視覚芸術の一分野としての映画で、その視覚的表現の可能性の野原は、くまなく探索されているわけではない。カメラを使って対象を撮影する映画でも、再現されるのはそのままの対象の姿ではない。スクリーンに再現された対象は、認識のプロセスを経た観客の視覚が直接見るものでも、フィルムの一コマに定着した画像でもない。


注:(1) マン・レイ自伝──セルフポートレイト   263p  千葉成夫訳   美術公論社
注:(2) 視覚の心理学  心理学叢書ー9       226p  鳥居修晃著  サイエンス社
注:(3) 同上282p
注:(4) 同上第6.7.8.章
注:(5) 同上239p
注:(6) オックスフォード西洋美術辞典       206p             講談社
注:(7) 視覚の科学                 31p  渡部 叡他著 写真工業出版社
注:(8) Man Ray directeur du mauvais movies 27p
Jean-Michel Bouhours et Patrick de Haas Centre Georges Pompidou
注:(9) マン・レイ自伝──セルフポートレイト   264p  千葉成夫訳   美術公論社

注:(10) 光と幻影の創造者 奥山順市 展 カタログ  59p       東京都写真美術館
注:(11) 同上42p

 画像生成に入る前の、実際の制作過程では全く光を使っていない訳ではない。始めにフィルムを全部かぶらせてある。つまり、その状態で現像、定着すれば画面は全面的に黒くなってしまう。普通なら、使えないこのかぶってしまったフィルムに、糸等を巻き、現像液の浸透の具合が画像生成をしている。つまり、糸等に遮られて現像液が届かないところは、定着された後白くなる。この、既に感光してしまったフィルム、いわば特別なフィルムを使って画像を作ると言う意味では、そのフィルムを作る時には光が使われている。と言うより、現像作業を含めた糸、紐を巻く作業は暗室ではなく、明室で行なわれている。その時点でフィルムは感光してしまう。その意味では光を使っていると言えなくもない。しかし、感光材料にレンズを通して光を当て、潜像を作り、それを現像定着の過程を経て、眼に見える像にする普通の写真が、画像生成の際必要とする光の在り方とは、光の必要性の在り方が根本的に違っている。

注:(12) Rose Lowder Cinéma du Musée Musée national d'art moderne
           Centre Georges Pompidou février - mars 1987
注:(13) Cantrills Filmnotes , nos 85/86 p-58 June 1997
注:(14) 同上

A134−136ページ


論文|映画が生成する空間と運動
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